時々、当会に興味をお持ちになった保護者の方々から「小学1年生でもプログラミングができるんですか?」との質問を頂くので、当会道場主の見解を申し上げます。

…が、
当たり障りのない言葉を使って一言でまとめると行間を都合の良いように解釈される可能性があるので、敢えて長文を書きます。

そもそも、この質問の本質は何なのでしょう。
何に引っかかりを覚え、何を不安視しているのでしょうか。
「できる!!」という確証がない。
少なからず「できないのでは?」と思っている。
自分の体験に落とし込んで想像することができないから「よくわからない」。
そんなところでしょうか。


年齢のことを言いだしたら4歳でも5歳でもやれるひとはできますし、19歳でも30歳でも60歳でもできないひとはできませんよね。
極端な例に思えるかも知れませんが、そこまで珍しいことではありません。
どこにでもいる、大都市の繁華街を歩いていれば遭遇するかもしれない程度の確率で存在する、平凡な人の話です。

手っ取り早い確認方法を御教示します。
実際にどこかのプログラミング体験会に参加してみて下さい。
案ずるより産むが易しです。

当会では「自ら『プログラミングをやりたい』と意思表明できる若者」に対して「プログラミング体験」の支援を行っています。「プログラミングができるか・できないか」ではなく「やりたい」という気持ちが第一です。プログラミング未経験でも安心して御参加下さい。
けれども、残念ながら「プログラミングを学ぶ意思が不確かな若者」を対象とした「プログラミング体験会」は行っていません。簡単に言えば、「自分がどうしてこの会場に連れてこられたのか、説明を聞いても、よく分かっていない」若者を対象としていません
ですから、保護者や本人が「体験してから興味が沸くかもしれない」という考え方であれば、どこかで何かしらの方法で、体験して来て下さい。
もちろん、その「アテ」がないのであれば、必要に応じて道場主が相談に応じます。

自ら「プログラミングをやりたいと意思表明する」とは、一体どんな状態なのでしょう。
すると、「やったことがないことを、やりたいと思うかどうかなんて分かるわけがない」と仰る方もいるでしょう。
「やったことがないことを、やりたいと思う」ことは不可能なのでしょうか。

皆さんは、何かに「あこがれる」経験はないでしょうか。
コトバンク(デジタル大辞泉)によると「あこがれ」とは「理想とする物事に強く心が引かれること」とあります。
「プログラミングをする」という理想像があって、それに強く引かれる。
貴方には有り得ないことかもしれませんが、他の人なら有り得ますよね。
ですから「やったことがないことを、やりたいと思う」ことは可能です。

それでは、「小学1年生が、プログラミングをやりたいと意思表明する」にはどんなステップが必要でしょうか。
正解・不正解はさておき、多少なりとも「プログラミングをするイメージ」を持つ必要がありますよね。
そのためには、まず「プログラミング」の存在を知る必要があります。
では、それは、いつ、どのようにすればいいでしょうか。

「強く心が引かれる」は分かりやすいですね。
ウキウキ、ドキドキ、ワクワク、キラキラ…などの擬態語でも表現できます。
こうしてみると、意思表明することと小学1年生かどうかはあまり関係がありませんね。

それはそうと、子供たちがプログラミングのことを「知る機会」と「興味を持つ機会」はありますか。
「きっかけがないから、体験会に参加したい」とお考えなのでしょう。
当会では、認知度向上のために「元気村まつり」などの外のイベントに出展して「プログラミングそれ自体を知り、触れるきっかけとなるワークショップ」を実施することがあります。しかし、定例のセッション中にそれを行うことはありません。そこに人件費が割けないからです。ですから、当会に「体験するきっかけ」を期待しないで下さい。
でも、地方在住ならいざ知らず、東京都下の北多摩地域にいたら少なからず「外出すれば体験会に参加する機会」はあるはずなのですが…。
どうしても多摩地域で見つからないのであれば、少なくとも新宿や渋谷などの都心に出ればありますよね。
もっとも、親御さんの知らぬ間に子供たちがどこかで勝手にきっかけを拾っている可能性もありますが。拾ってきたきっかけを親子で共有できるかどうかは、その御家族次第ですよね。

ですから、対象年齢なら無条件でできる・できないという、単純な話ではないのです。
本人が「やりたい」と明確な意思を持っているのかどうか、です。
やりたいか、やりたくないか。
いかがでしょうか。


2019年5月現在、当会の参加者のべ87名中、初訪問時点で「プログラミングをやりたい」と明確な意思表明を示した若者は学年不問で概算43名です。百分率で約49%。5割弱です。
記録をしていない「見学者」を含めると、割合が下がります。
低学年に限定すると数%、5人もいません(面倒なので調べませんでしたが記憶している限り多分そのくらいです)。

どうやって計測しているのかというと、初めていらした時に保護者と児童双方に「ここは何をする場所か」を口頭で確認しています。
申込時もアンケートによる情報収集を行っていますが、そこには子供の意思が乗っかっていないことが多いので、二重チェックをしている訳です。
特に低学年の場合、保護者の方は「ウチの子は、プログラミングをやりたいと言った」と仰るのですが、当の児童は要領を得ない反応を示します。

お母さんに「やってみる?」と聞かれたから「うん」と答えたことは肯定します。
しかし、一体どこで何をするのか良く分かっていないまま来た、というのです。
兄弟参加の場合は「お兄ちゃん(お姉ちゃん)と一緒のことがしたい!」と別の意味で明確な意志を示します。
その時子供たちが重視しているのは「何をするのか」ではなく「誰とするのか」なのです。自分の興味に合うのか、それを熱心に継続的に取り組む気はあるのか、なんて殆どと言って良いほど考えていないのです。
それは「プログラミングをやりたい」のでしょうか。

「好意を抱いている人と一緒に過ごすために、それをやる」でも良いです。
ところで、道場主が個人的に「許し難い」と感じている事があります。
それは、自らの選択を簡単に投げ出し、それまでに他人にかけた迷惑を顧みないことです。
子供本人からしてみれば「頼んでもいないに手を焼いている」というところでしょうし、実際そういう側面もありますが、それだからと言ってそのまま片付けていいのでしょうか。
子供だったら、自らの選択に責任を負わないことは許されるのでしょうか。
子供だったら、他人にどんな迷惑をかけても許されるのでしょうか。
他人に責任転嫁する子供も許し難いですが、「子供だから仕方が無い」で片付ける保護者は更に許し難いです。
道場ではありませんが、傷害事件が発生しても「子供だから」で片付けて被害者が泣きを見る現場がありました(有料教室での出来事ですが、被害者が発達に課題を抱えていて日々対人関係で問題が起きている児童だったためか、被害者に非があるような扱いで片付けられました)。それでいいのでしょうか。
なぜ、運営側が、自ら責任を負おうともしない人たちのために労力を割かないといけないのでしょうか…。
「なにかよくわからないものを、やってみたい」という気持ちに「仕向ける」には、仕掛けが必要です。その仕掛けづくりを保護者が家庭で行わずに中途半端にアウトソーシングして「ウチの子でもやれるかどうか」と仰られても、ツッコミどころが満載過ぎて言葉もありません。


多くのDojoでは「どんなツールで何をやるのかを決めていない」初参加者のために、様々なアクティビティを用意しています。それは当会も同じです。
Viscuit、ScratchJr、Code Studio(Hour of Code)、Foos、ozobot、ボードゲームなどのアンプラグドアクティビティなどなど、低年齢の子供たち向けのものを各種用意しています(念のため、他のアクティビティもありますよ!!)。
しかし、ここ2年ほどはこれらが選ばれることは殆どありません。
なぜかといえば簡単です。「子供たちがそれを選ばない」のです。

初めてやって来て「なにも決めていない」という子には、道場主が会場内を指しながら「他の子達を見て、なにかやってみたいことはある?」と尋ねます。
そして「アレをやりたい」と言えば、それをやってるグループに入るか近くに行くように勧めます。
すると、大半の子供はビデオゲームに一直線です。低学年に限らず、中学生でも。
結果、低学年の子供は十中八九Minecraftのローカルマルチプレイをしています。

もちろん、Minecraftに興味を示さない子もいます。
そういった場合には「これで遊んでみたら?」と、タブレット端末(Kindle Fire)を渡します。
もっと上の学年の場合はもう少し細かくヒアリングの上で個別対応をしますが、低学年の完全初心者にはこのような対応をしています。

Minecraftを使っている理由はFAQに譲るとして、ビデオゲームで遊ばせるのは理由があります。
コンピュータ端末の操作に慣れてもらうためです。
侮るなかれ。慣れてもらうことが思いの外に難しいのです。

「え?」と思った方もいらっしゃるでしょう。
プログラミングをするために最低限必要なコンピュータ操作は、マウス操作(タッチ端末はタッチ操作)、文字入力(音声あるいはキーボード)です。
それに加えて端末本体の起動/終了、Wi-FiのOn/Offが、ブラウザや開発環境のアプリの起動/終了ができれば文句なしです。
「なんだそのくらい。操作のぎこちなさなんて、直ぐに解消するじゃないか」を思うかも知れません。
それが問題にならないのは、単発ワークショップです。
自発性最優先、継続性の高い活動となると「なかなかそこに辿り着けない」のです。 当人に「これをしたい」という目標がハッキリしないことには。

皆さん、コンピュータ端末を初めて触ったとき「情報が多い」と思いませんでしたか。
思った方、それです。それが問題なのです。
好奇心のアンテナがあちこちに飛散するのです。
最近のコンピュータ端末はGUIが進化して、初心者に非常に親切です。便利なアプリも多数搭載。だから、ちょっと触れば何かが動きます。
「これなに」「あれなに」と、もう、興味しかないです。
タッチしたら何か動いた。指やマウスカーソルの動きに合わせて何かが動く。画面にパパやママが映ってる。ああ、写真が撮れる!もう、ちょ〜たのしい〜。…です。
学校で多少は触ったことがあったとしても、学校では規制が多くてやれなかったことが、個人端末ならできてしまったりもしますし。アプリなんて全部無料だと思ってますからね「インストール」を押しまくるし、パスワードを出鱈目に連打してiPadを使えなくすることもザラです。
PCなんて、デスクトップのアイコンをやたらと拡大したりリネームしたり、Cドライブのファイルを全部ゴミ箱に入れてみたりできただけで「楽しい」んですよ。
分かりますか。コンピュータ端末を触ることが「当たり前化」していないことの何が問題なのかが…。
ですから、そんなにプログラミングをやって欲しいなら、なにはなくともコンピュータ端末の操作に慣れてからが良いのです。
あまつさえ、御自宅のコンピュータ端末で散々色々やらかすならまだしも「自分ちの端末を壊されたら敵わない」からと「パソコンを貸して下さい」と仰るケースもあります。保護者のアナタが満たせない好奇心を、なぜ、コチラが数万十数万単位の金銭的リスクまで背負わなければならないのか。「寝言は寝てから言え」です。
ぶっ壊されるリスクがあるなら、電機屋で安いバルクのPCを買ってきて、そちらで好奇心を満たしてください。くれぐれも、合意もなく他人の物を使って自分の欲望を満たしたいなどと思わないでください。発覚したら出入り禁止にします(実際、保護者に説教したことがあります)。


ビデオゲームで遊んでいる児童の保護者の皆様に大事なお知らせがあります。
漫然とビデオゲームで遊んでいても、プログラミングが出来るようになりません。

該当する保護者には予め伝えていますが、ビデオゲーム遊びは「ビデオゲーム遊び」です。
他人が作ったゲームの中で遊んでいるだけ、です。

ビデオゲームで遊ぶことが良いとか悪いとか、そういう話ではありません。
大事なことは、子供本人が「いま、自分のしている活動は一体何か」を自覚しているか、です。
「プログラミング道場へ来て、自らの意思で、プログラミングをせずにビデオゲームで遊ぶことを選んだ。」という事実を自覚していれば良いのですが。
プログラミングなんてムズカシソウでメンドウクサソウなことはしたくない。
もっと手軽に楽しいことをしたい。
自分にとっては、プログラミングをするよりも、ビデオゲームで遊ぶ方が魅力的だった
そういう感覚を持っていることを自覚して欲しいのです。

ビデオゲームの中には、マイクラのように拡張機能を導入することでプログラミングできたり、そもそもその拡張機能を誰もが自由に開発できるものもあります。
ただ、それには、そのビデオゲームで十分に遊んでいないと難しいでしょう。
そのためにも、そのビデオゲームで遊ぶことは大切なことです。
だから、ビデオゲームで遊ぶこと自体が良いとか悪いとか、そういう話ではないのです。

ビデオゲーム遊びは、必ずしもプログラミングしません。
いくらビデオゲームで遊んでいても、いつの間にかプログラミングできるようにはなりません。
それを理解した上でビデオゲームで遊んでいるなら、特に問題ありません。
…と、子供たちにもお伝え下さい。


「小学1年生でもプログラミングができる」かどうか、それは色々な前提次第です。